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Channel: 後半生はトレーダーを目指して (時々、フライフィッシング)
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過ぎ去ったことは船の軌跡

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本当にお久しぶりです・・・。
何とかかんとかですが、トレード続けております(゚ー゚;;
 
今回は・・・トレードとは直接関係ない個人的なことで、ブログに書くのは少し迷いましたが、書いておこうと思います。
自分にとってはトレードとも密接につながるものでもあると思っています。
 
昨年末、伯父が亡くなり、その伯父の家に住んでいる一人息子の従弟の所に今年の正月、20年振りぐらいに実家に帰る途中に立ち寄った。
従弟は僕より4歳ほど年下で、高校の教師をしていて、本当に久しぶりに会って話をした・・・そんな間柄になっていた。
 
従弟は、相変わらず真っ直ぐで、影のない性格で、今でこそ親しみしかほとんど感じないけれど、思春期の頃は親しみと少し負い目が混ざり合ったような複雑な気持ちがあったことを思い出したり・・・。

そしてそこで、古いアルバムを従弟から手渡された。

それは僕が小さな頃(1歳半から3歳になる直前まで)の写真だった。
その夜、家に帰り、そのアルバムを開いてみた。

全く記憶にない自分の小さな頃の写真を見ていると、思いもかけないような感情がこみ上げてきた。
 
過呼吸(?)のような、震えがくるような、そして涙が出てきて、予想もしなかった自分の反応に自分で驚いてしまった・・・。

僕は1歳半から3歳直前まで、この伯父と叔母(叔母は十数年前に亡くなった)の所に預けられていた。
 
叔母は僕の母の妹で、結婚して長い間、子宝に恵まれず、とても子供を欲しがっていたらしい。
 
僕の家は3人姉弟で、僕は上の兄から7歳離れた末っ子だった。
伯父と叔母はどうしても子供を育てたいということで、紆余曲折あったのだと思うが、僕は伯父と叔母の家に預けられることになった。
父が体調を長い間崩していて、当時は生活がかなり厳しかったこともあったとのことで、家族会議を開いて決めたとのこと。
 
そして、大分から広島の伯父夫婦の所へ移った。

そうして1年半過ぎたころ・・・こういうことはよくあることなのかもしれないけれど、叔母は妊娠した。
(それが上で書いた従弟です)
そのことを叔母から聞いた両親は家族で相談したうえで、戻してもらうことに決めた。
 
ここからは僕が聞かされたことは、うちの両親と、伯父叔母の言うことは全く相反しているので、どちらが本当なのかは、わからない。
 
叔母達は、新しく生まれる子どもと同じように育てるつもりだったのに、強引に連れ去ったと言い、私の両親は「妊娠したけどどうしよう」と電話があって、子供が無事生まれたら暗に返したがっている、と確信したので「速効」で引き取りに行ったとのこと。
 
双方から何度も聞かされたことは、いつも同じだった。
伯父叔母も亡くなり、僕の両親はさらに昔に亡くなった。
どちらの話も双方にとって真実なのだと今では思える。

ということで、その写真のことに戻ります。
 
当時の記憶は、なにげない日常の記憶をいくつか憶えて(見た夢も3つほど憶えている!)いたのに、写真に写っているものはなぜか何一つ記憶に残っていなかった。
 
まず、そこに写っていた自分は、自分とは思えない不思議な気持ちだった。

小さな頃から過去のアルバムを開いてたまに見るということがなかった、その写真に写っている自分。
見慣れていたら、記憶はないにしても、時を経ても、たまに見るたびに積み重なる記憶としての過去の小さな頃の自分の写真、と当然ながら思うのだろうけど、突然この歳になって、数十年振りにいきなり見てしまうと、なにも無い所にその記憶のスペースがいきなり割り込んでしまうような、とても言葉では表しきれないような気持ちがこみ上げてきた。
 
それに、当時としては多めの写真を残してくれていた。
(実家に戻ってからの写真は残念ながらごく少ない・・・)
いろんな県内の観光地にも連れて行ってもらっていて、服も結構いい品物(?)を着せてもらっていて、とても大切にされていたのだと思えた。
 
しばらく経った今でもうまく書き表すことが、どうも難しい。
少なくともひとつふたつの言葉で表すと、たぶん的外れになってしまうような気がしてならない。
 
正直に書くと、自分の記憶が始まったころから、僕はそういった経緯(いきさつ)を常に意識していた。
小学生の頃は相当にその気持ちを表に出していたが、思春期になる頃にはそれは内に向かっていた。
 
敢えて、だけど、ひとつ言葉で表すと、
「自分は不必要」だから「なにをやっても大したことはできない」という思いを振り払うことができなかった。いつかなにか「破綻で終わるはず」というか。
(表した端から、なんかその表現、違うよね~、なんて気持ちになるけど・・・)
 
と、同時に、そう思うこと自体が自分への都合の良い言い訳のような気がした。
 
そのことを原因にして、困難に立ち向かったり、新しいことに挑戦するのをやめる理由づけにしているだけじゃないか、という葛藤もあった。
もっと深刻な過去があっても、しっかり生きている者はいくらでもいるじゃないか、と。
だから、ただの甘えだと自分にいつも言い聞かせていた。
 
そして、成人して結婚して、子供ができたころには、また違った考え方もするようになった。
 
「過去のどんなことも、船の通った後の軌跡の波のようなものに過ぎない」
「だから本当はなにも問題は存在せず、それは自分が問題だと思うから問題になっているに過ぎない」
 
確かにそれはそうだと思う。

しかし、まだ頭の中で「そうだと思う」だけで、魂というか、心にまで落とし込めていないのだと思う。
素直に認めようとも思う。
 

さて、ここでトレードのことになります(笑)
 
トレードというものを知っていなければ、もしかするとその写真を見ても、若干は違った反応をしていたのではないか、とそう思えたりした。
写真を見ても自分の反応を無意識にごまかすことができたのでは、とそう思うのです。
少なくとも、息が詰まりそうになったり涙が出てしまったりはなかったと思う。
 
トレードは絶対にごまかしがきかない。
 
だから、トレードをしていると、この姿勢でもう少し進めばワンステップ上がれるぞ! なんて思えるときにも、ある瞬間に「どうせ自分は、結局たいしたことにならない」的な考え方が猛烈に襲ってくることがあって戸惑うことがある。
 
それが一般的な普通の人間だから、特殊なトレードの世界では単に大勢の負け組のひとり、とか、ただ過去に原因を求めて逃げているだけ、とかでもそれはそうなのかも、とも思える。
それだけならば、もうしばらくすれば結果が出るだろう。
 
しかし、自分はなんとしても退場ではなく、成功の道を歩みたい。

自分はただの一般人だから退場が定番なのか、少し立ち止まって自分の心に向かい合えば、もしかして目標に向かえるのか。
 
たしかに、今書いた過去の自分についての問題は本当は存在しない。
船の通った軌跡であって、今現在に対して、なにも影響のないさざ波に過ぎない。
 
でも、自分で問題が存在していると少しでも思う限りは、それは存在しなくても存在する。
 
存在しないものは、やはり存在しない、と心に落とし込む作業を、自分の葛藤や否定する気持ちを一旦受け入れて、外と内に続けていきたいと思う。
自分で設定してしまった幻のリミッターを解除する作業を続けていこうと思う。
 
それができた、と思える人生を求めたい。
そう思えるとき、後に結果や状況が望んだことと違っていても、それはそれでOKだと後悔しない人生にしたい。
 
 
気付かせてくれたトレードにも感謝・・・。
それに、矛盾するけれど、そこそこ幸せな人生かもね、とも思ってます。
 
 
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